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今回はモリス・コーエンの英語版Wikipediaの翻訳をします。
翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれません。正確さよりも一般の日本語ネイティブがあまり知られていない海外情報などの全体の流れを掴めるようになること、これを第一の優先課題としていますのでこの点ご理解いただけますと幸いです。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。
翻訳において、思想や宗教について扱っている場合がありますが、私自身の思想信条とは全く関係がないということは予め述べておきます。あくまで資料としての価値を優先して翻訳しているだけです。
モリス・コーエン
https://en.wikipedia.org/wiki/Morris_Cohen_(spy)
モリス・ゲンリホヴィッチ・コーエン(1910年7月2日 – 1995年6月23日)は、別名ピーター・クローガーとしても知られ、ソ連へのスパイ行為で有罪になったアメリカ人である。妻のロナも諜報員であった。 彼らは共産主義的な信念からスパイとなった。
生い立ちと教育
モリス・コーエンは、1910年7月2日、ニューヨークのハーレムで、ユダヤ系移民の家庭に生まれた。父親は現在のウクライナのキエフ近郊から移住してきた。母はリトアニアのヴィリニュス出身で、二人はニューヨークで出会って結婚した。ブロンクスのジェームズ・モンロー高校では、フットボールの名プレイヤーとして活躍した。ニューヨーク大学に短期間入学した後、ミシシッピA&Mカレッジ(現ミシシッピ州立大学)にスポーツ奨学金を得た。しかし、1年目の試合で負傷。フットボールをすることができなくなったが、アスレチック・マネージャーとして奨学金を受け続けることになった。ビジネスで学士号を取得し、1年間の大学院生活の後、イリノイ大学に編入した。そこで、共産主義組織「全米学生連盟」の煽動活動に従事した。1学期でペルソナ・ノン・グラータ(※好ましからざる人物の意味)となり、ブロンクスに戻り、アメリカ共産党の正会員となり、主宰者となる。第二次世界大戦後、コロンビア大学で教育学の修士号を取得した。
経歴
国際旅団
1937年、コーエンはマッケンジー・パピノー大隊に入隊し、外国人志願兵としてスペイン内戦に参戦、反フランコ運動に共鳴した他の人たちと同じように戦った。彼は、ソ連のスパイだったアマデオ・サバティーニと出会い、スカウトされた。負傷したコーエンは、1938年11月、米国に帰国。ソ連の対外諜報活動に従事するようになる。
ソビエトのスパイ
1942年半ば、コーエンはアメリカ陸軍に徴兵され、ヨーロッパで従軍した。1945年11月に除隊してアメリカに戻り、ソヴィエト連邦のためにスパイ活動を再開した。
中でもコーエン夫妻は、1945年に核爆弾の詳細な設計図をモスクワに届けた。
この時期、ソ連のスパイネットワークが危うくなり、ソ連情報部とのつながりは一時途絶えたが、1948年、常駐スパイがコーエンに接触できることを確認すると、再開された。ロナ・コーエンと共に、常駐スパイの最も貴重な情報源の数々との秘密のつながりを確保したのである。ルドルフ・アベル大佐のもとで仕事を始めた二人は、1950年に密かにアメリカを離れ、ポーランドのルブリンに移り住んだ。ポーランドにいる間、モリスとロナはソヴィエト連邦のために数多くの外国任務に従事し、日本、香港、オーストラリア、ニュージーランド、オーストリア、ベルギー、オランダを旅行した。
1954年、コーエン夫妻はロンドンのルイスリップにあるクランリードライブ45番地に移り住み、スパイ活動のための数々の隠し道具を揃え、屋根裏にはモスクワへの通信に使うアンテナを巡らせていた。彼らの偽装は、ピーター・クローガーとヘレン・クローガーという名の古書商で、ゴードン・ロンズデールという偽装名を持つKGBのエージェント、コノン・モロディと協力していた。
逮捕と裁判
英国の治安当局は、1961年1月7日、英国海軍に浸透していたポートランド・スパイ・リングと呼ばれるソ連のスパイネットワークに参加していたとして、コーエン夫妻を逮捕した。彼らはソ連へのスパイ行為で有罪判決を受け、10年の禁固刑を言い渡された。モリスとロナは、捕虜交換の対象であったため、8年間の服役となった。
2019年9月に国立公文書館が公開したファイルは、タイムズ紙によると、MI5が銀行の貸金庫で「特大のロンソンのライターの中に隠されたスパイ装置」を発見したことを示し、これがスパイ組織の閉鎖に必要な突破口となった。
囚人の交換
1967年、ソ連はコーエン夫妻がスパイであることを認めた。1969年7月、英国は、ソ連に拘束されていたイギリス人ジェラルド・ブルックと、1968年にソ連への麻薬密輸でソ連の裁判所から判決を受けた英国人マイケル・パーソンズとアンソニー・ロレイン氏との交換を行った。米英両国は、1964年にソ連のスパイ、ルドルフ・アベルとU-2パイロットのゲーリー・パワーズ、コノン・モロディとグレヴィル・ウィンの交換を実施したことがある。しかし、このケースでは、野党は、ハロルド・ウィルソン労働党政府が、プロパガンダ担当とされるブルックと引き換えに、クロガー(=コーエン)ら危険なソ連工作員の解放に合意したことを批判した。反対派は、これは危険な前例となり、公正な交換ではなく、脅迫の例であると主張した。
モスクワ
コーエン夫妻はモスクワに住み、モリスはソヴィエトのためにスパイの訓練をした。その後、モリスとロナはKGBから年金を支給され、余生をこの街で過ごした。
私生活と死
1941年、コーエンは共産党の活動家であるロナと結婚。彼女は後にマンハッタン計画の物理学者セオドア・ホールのスパイ兼運び屋になった。彼らは原子スパイの組織の一員であり、ローゼンバーグの組織よりもはるかに米国の利益を損なうものであったことが後に明らかになった。
ある時期、コーエンはアムトルグの社員だった。
モスクワで何十年もソ連の諜報員を訓練した後、コーエンは妻と同じように年金で引退した。1995年6月23日、モスクワで死去した。ロナ夫人は1992年に亡くなっていた。
賞
コーエン夫妻は、そのスパイ活動により、ソ連から赤旗勲章と国際親善勲章を授与された。ソヴィエト連邦解体後、エリツィン政権からロシア連邦の英雄の称号も与えられた。
ヴェノナ文書
コーエン夫妻は、モリス・コーエンがヨーロッパで殺されたという誤った報告に関して、ヴェノナの解読文書1239KGBニューヨークからモスクワ(1944年8月30日)と50KGBニューヨークからモスクワ(1945年1月11日)に言及されている。コーエン夫妻はマンハッタン計画の機密をソ連に渡すのを手伝った。ソ連情報部やヴェノナファイルでのコードネームは「ボランティア」である。
他メディアでの表現
イギリスの劇作家ヒュー・ホワイトモアは、この事件を「嘘の塊」としてドラマ化し、ロンドンのウエストエンドでジュディ・デンチとマイケル・ウィリアムズの主演で上演した。この作品は1985年にブロードウェイで3ヵ月半上演され、ローズマリー・ハリスが主演した。彼女はコーエン/クロガー夫妻の隣人であるイギリス人を演じ、トニー賞最優秀女優賞を受賞した。
この作品は、エレン・バースティン、アラン・ベイツ、テリ・ガー、ダニエル・ベンザリ(「ピーター・シェーファー」すなわち「ピーター・クローガー」/モリス・コーエン役)主演でテレビ映画化され、アメリカでは1987年にCBSで放映された。プロットの中心は、隣人(と思われる友人)の家で、その家はイギリスのセキュリティサービスがコーエン夫妻をスパイするための基地として使われていた。パラノイア、疑惑、裏切りが、当時の彼らの生活を徐々に破壊していく様を描いている。
ヘリーン・ハンフは、著書『ブルームズベリー街の公爵夫人』(1973年)の中で、コーエン夫妻の偽装について、古書商のピーターとヘレン・クローガーと紹介している。その身分のもと、彼らはロンドンの書籍ディーラー、フランク・ドエルの友人であった。ドエルとは、主に手紙を通じての長期にわたる交友関係に基づき、先に『84チャリング・クロス・ロード』(1970年)を執筆・出版し、ベストセラーとなった。1949年にホジソンズ(後のサザビーズ希少本部)で競売事務員として働いていたO・F(オズワルド・フレデリック)・スネリングは、著書『希少な本と希少な人』でピーター・クローガー夫妻との友情について幅広く書いている。ピーター・クローガーとヘレン・クローガーが逮捕された後、スネリングはピーター・クローガーの事業の整理を志願し、残っている本をオークションにかけた。また、スネリングは、ゴードン・ロンズデールというカバーネームを使っていたKGBエージェント、コノン・モロディとの接触についても語っている。
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最後に
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